いきぐされ

言い訳と練習

0522

13:00に目が覚めてため息ついてたところに親友から電話しようとの連絡。嬉しい。親友にはこの春生まれたばかりのお子さんがいて、大好きな親友の血が流れているからかわからないけれど心の底からその子が可愛くて仕方ないんだおれ。写真や動画や、その子の変化のようすを目にするたびに母性がどくどく溢れてくるのがわかる。ほやほやで、お母さんの愛をいっしんに受け取ろうとするいのち。親友は疲れた様子もなくかわいいかわいいと愛情をめいっぱい注いでいて、こんな幸せなことがあるだろうかと思った。い、いのち……としか考えられなくなる。わたしが「い、いのち……」と思うのは、大抵はその無防備さに慄いているからだと気づく。ずっと無防備でいてほしい。子どもが生まれたらその子の話しかなくなって疎遠に、みたいな話をよく聞くがそんなこともなく、かわいいお子さんの話もそれ以外の話も思いっきりした。土地ほしー、駐車場収入で暮らしたーい、など。わたしのいまの状況とこれからの展望…目標?の話もした。失望されたくなくて言い訳じみた話しぶりになりながら、そんな自分に気づいてその言い訳を切り崩しながら話す。おうおう、のんびりやりな〜と言われてほっとする。憧れという感情が掴めないままこの歳になってしまったが、親友はその言葉にいちばん近い存在だった。自立していて、自律していて、怠惰でいることの旨味もわかっていながらきちんと努力ができて、それなのに他者に寛容で。料理も上手い。肉じゃが美味しかったな…。そんな彼女に受け止めてもらえたのはわたしにとってとても、言いようのない安心だった。とても。

あまりに楽しくて予定をオーバーして話し続けてしまった。慌てて準備して兄とスラムダンク応援上映へ。シン・ウルトラマンのときも思ったが、彼とは興味分野が大きく被らないのでいろいろな話を聞けて助かる。NBAファンとしての彼から、リョータが砂浜を走るシーンのBGMは一時期のシカゴブルズの入場曲のオマージュで…とか、花道が場外に出たボールを取りに行くところはまんまロッドマンだったね…など聞く。NBAヒエラルキーはどこにどれだけの寄付をしたかで決まる、オールスターゲームのときの商品も「〇〇団体に寄付できる権限」なんだぜ、と言われて、それって最高じゃん!と思う。

こんなにも時間って有限だなと思うばかりの日だった。そしてこんなに楽しいことをしているのに出さねばならないメールやその文面、その後の自分などを思ってしまって嫌だった。さっさとケリをつける。