いきぐされ

言い訳と練習

1122.5

この頃は眠れないとなるとトイレに行ってみたり水を飲んでみたりして、自分に音楽を聴かせながら単純作業、麻雀など、をさせてようやっと眠りにつける。薬を飲めば眠れるのだろうが適正量を超えてそうすることからは目を逸らすようにしている。こうやって寝食の工夫をこちょこちょやっていると、自分がまるで赤ん坊みたいだなと思う。大きな赤ん坊。子供を育てるどころか結婚の予定も目処も立っていないのだけれど、自分の面倒を見れない人間がその選択を取るべきではないんだろうなと常々思う。「きのう何食べた?」でケンジの後輩の田渕くんが、「いや、子供が子供育てちゃだめでしょ」みたいなことを言っていたのを思い出す。

昨今の反出生主義だとか、そこまで行かないにしても子どもを持たない方がスマートだ、みたいな風潮、発言には今まさに子育てをしている人たちへの想像が足りていないものが多くて少し嫌な気持ちになる。とはいえじゃああなたはどちら側なんですかと言われたら子供を持たない方へ立つんだろう。し、それへのあてつけみたいな気持ちが少しでもある状態で子供を持つことはもっと最悪だ。こういうことをぐるぐる考えていても結論は出ないし、そもそもこれは自分のスタンスを声高に叫ぶ前にもっと国や自治体に対して言うべきことがあるんじゃないのっていう、そういう天邪鬼。

 

TABFに行きたくてめずらしくわたしから友人を誘ったら、嬉しくなった退勤後の友人から電話がかかってきた。ヒールが剥げて釘が出ているというパンプスがかつかつ言うのを聞きながらなんとなく明日の約束を固める。そのあと、何の流れだったか「わたしって多分だけど発達障害がある」と言ったらすんなり「うん、そうだと思うよ」と言われ、救われたような蹴り落とされたような変な気持ちになって変な顔になった。ほぇ〜ん。友人はそのまま「わたしもそうだし」と続けるので、さらにあょ〜んとなった。でも実際そうだからな。診断を受けていないというだけで。生きづらいし、生きづらそうな人を見つけると嬉しくなって近寄ってしまう。相手のダメなところが見つかれば見つかるほど勝手に嬉しくなって、でもお互い交友をうまくやれないので消滅する。思えばいま仲良くできている友人たちはとても寛容で、言ってしまえば大雑把だけど優しい人ばかりだ。

なんかもう、ぜんぜん健康に長生きしたいです。かみさま。