いきぐされ

言い訳と練習

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とても調子が良い。つい2週間ほど前まで、3日家から出ないなんてざらで、掃除や洗濯どころか入浴や歯磨きすら毎日できていない、布団から起き上がれないのが普通だったのに。自分が不思議だ。きっかけと思われることはひとつ明確に思い当たるものがある。にしてもここまで、と思う。今日なんか、朝早くに起きて洗顔し、着替えて化粧をし、布団カバーやシーツを洗濯にかけ、コートをクリーニングに出し、買い物に行き、1時間ほど散歩、そのあと親子丼と焼き椎茸ともやしナムルを作ってブロッコリーを茹でた。既に入浴も歯磨きも済ませ、お湯をわかしてあたたかいお茶を飲んでいる。普通の人の、普通の生活。でもずっとずっとずっとやりたくて欲しくて、でもできなかったものだった。

 

ハイになっているのだろうか。躁と言うやつ。大学時代にそれに思い当たる時期が何度かあって、急に仙台から東京に行ってネットで知り合った人と会ってみたり、SNSでめちゃくちゃなことを言ったり、Twitterを見ながら部屋で一人でゲラゲラ笑ったりしていた。面白がってくれる人もいたし、渦中の自分は楽しくて仕方なかったが、後から津波のように自責と羞恥と後悔が押し寄せた。あの時のことはあまり思いだしたくない。でも、その時の感覚となんとなく違う、と感じる。明確に違うと言えるのが2つあって、毎日ぐっすり眠れていることと、SNS、特にラインなんかを使って騒ぎ立てていないこと。だから、今のわたしの状態をあまり躁とかハイとか思いたくない。

鬱の薬をもらい始めて5年か6年になる。その時々で調子の良い悪いはあったが、ようやっと光が差し込んだような、陳腐な例えを使ってしまうと生まれ変わったような、そんな感覚がいまある。

 

思い当たるきっかけというのはここには書かないが、自分が「変わりたい」「ましになりたい」と思ってそうしたことだった。報われたと思っていいのだろうか。まだこうなって2週間だからまたすぐひっくり返るかもしれない。でももう少しだけ、できれば長くこの生活の手触りを味わっていたいと思っている。