いきぐされ

言い訳と練習

0224

友達ってこんなに脆いんだなあ。

唯一無二の親友にはじめて、本当に初めて向こうから食事に誘われて、誘われたことに浮かれて、へらへらと行ったことのない街を指定して、街の治安の悪さにドン引きしたりして、それで、そこで親友が地元へ帰ることを知らされた。今生の別れかもしれんなと言われた。国内なんだから行こうと思えば行けるのに、でもそこは行こうと思わないと行けないようなところだった。親友はいつも電車と飛行機を乗り継いで帰省していた。

本当に久しぶりに人前で涙を流した。居酒屋のカウンター席で。泣くなよな。

血縁もなければ家族でも恋人でもなかった。ひたすらに友達だった。ずっと二人でふざけていて、それが世界一楽しかった。わたしが出会ってきた人のなかでいちばん物知りで賢く、説明するのも上手い人間だった。誕生日が一日違いだった。行きたいところを思いつけば誘って、思いつかない日々にしょっちゅう電話していた。会いに行くのに理由と覚悟と決断が必要になってしまった。

カラオケに引っ張って行って、思いつく限りの別れのうたとこの人の前でしか歌えないうたをたくさん入れた。自分が歌える別れのうたはほとんどが恋人に向けられているものだった。

これからもしょっちゅう電話するだろうし、会いに行こうと思えば会いに行けるし、もしかしたらしれっと帰ってくるかもしれない。心理的な距離はこれからも変わらずにいられるかもしれない。でも、明日には開いてしまう物理的な距離に打ちのめされてしかたなかった。だから泣いた。

 

自分を慰めたくて書き始めたのに、文章のほとんどが過去形になってしまってまた泣いた。

0202

こういう気分のときに日記を書きゃあいいんだよなみたいな瞬間を見送ってばかりの日々だ。なんでもない日に、なんでもないことを、なんでもないように書く。自分をヒロインにしすぎない。これまで日記を何度もまっさらにしてきて、始め直すたびに思っていることなのにいつのまにか友人に見せるのも恥ずかしいようなことばかり書いてしまう。

 

証明写真を撮った。前に撮ったのは夏場でジャケットを羽織っていないものだった。データも写真も残っていたけれどどこの規定にも「3ヶ月以内に撮影したもの」とのことで、それを無視して使ったところもあるけれど、もうさすがにね。駅前にある証明写真機は一度も人が入っているのを見たことがなく、それは単にふだん意識の枠に入れていないというだけのことなんだろうが、それでもやっぱりあの小さな箱に収まる瞬間は恥ずかしい。データも写真も欲しかったのに細かいお金がなくて写真の印刷だけにした。こんなに高かったっけなあ。毎回思っている気がする。この写真を印刷します、と電子パネルに表示されるときはゲッと思うわりに印刷したものはそこまで悪くないような気がする。

自分の顔は好きだ。人と比べたり、世間一般の美的観点から見たりしたらよくないというだけで、鏡に映る自分の顔はそれなりに愛している。ただ、お母さんからはかわいいと言われたことがあまりない。言われるのは親から子に向けるような、赤ん坊を見た時に誰しもが言うような「かわいい」であって、そこにはほかの子よりかわいいとか美しいとかそういう意味はこもっていなかった。良くも悪くも嘘がつけない人だったし、自分の動きたいように動くことでそれが善行になるような善い人だったからなんの悪意もないことはわかっている。でもずっと、心の底ではずっと悲しかった。コンクールで賞をもらったとか、いい大学に行ったとか、そういうのじゃなくて、ただかわいい娘として自慢の娘になりたかった。

 

昨日?一昨日?かららきすたのサブスクが解禁されたので聞いている。先日友人と藝大の卒制を見に行ったあと入ったカラオケでなんの気無しに「もってけ!セーラー服」を歌ったばかりだった。これはものすごい曲、そりゃあムーブメントになるわという曲でもはや感傷の入り込む余地もないが、「寝・逃・げでリセット!」「曖昧ネットだーりん」などを聞いているとあの頃のインターネットやアニメが受けていた風当たりや、はじめてオタク文化みたいなものに触れた手触り、興奮、が蘇ってきて泣きそうになる。

今日、YOASOBI「アイドル」をアイ役の声優さんがカバーしているのを少しだけ聞いて、(スゲー)という気持ちと(ふーん)という気持ちが半々ずつあった。本当に歌も演技も上手く素晴らしい発案と実行のかたち、という感じだったが、なんとも言えない物足りなさを感じてしまっていた。こんなこと思ってしまうのは贅沢な話で、らきすたやその頃のアニソンを思い返すと歌に慣れていない声優がほにゃほにゃと歌詞をなぞっているものが多かったし、曲や歌詞も今と比べて完成度が高いとは言えないものがほとんどだった。それでもオタクはそれにちゃんと興奮していた。文化の成熟と飽和によって消費者(自分も含め)がどんどん肥えていっているということだと思う。そう、昔のオタクは飢えていた。飢えていたから一滴の供給に暴れ狂って

↑着地点が見つからなくなったので投げました。

 

Twitterとかで書くことに気が引けることをここで書きたくて書き始めた気がするのに思い出せない。今思いついたことを書く。

プロテインを低糖質の豆乳で割ったらめちゃめちゃ美味しくて「ケーキじゃん!」って言った。そう、12月頭から(自分にしては)本格的なダイエットを始めて、食事を見直したり飲酒頻度を減らしたり運動(散歩とフィットボクシング)をしたりしている。もうこれらすべてが心の底から嫌で嫌で、いやだ…やめたい…と思いつつ「やんないよりまし!」と叫びながらヌル…ヌル…とやっていたらヌル…ヌル…と体重が落ちている。いまの体重から考えればもっとズババババと落ちてもいいんじゃないの、最初ってボーナスもらえるんじゃなかったですっけ?となったが歳を取ったってことなんだな…スンスン…。プロテインを飲んでいるのは本当に意味がないです。多分。体質から言ってこれ以上筋肉増やさん方がいいっぽいし、おやつやごはんに置き換えと思ってもわたしが欲する食事はことごとく塩っ辛いものばかりだった。ワハハ。ケーキと思って飲みます。

 

・たまごっちのアプリを年末あたりから一切触っていない。開くのが怖い。開いたらアイテムや履歴や育てていたたまごっちやがすべてリセットされていたという夢を見た。もうデータを圧迫しているだけなので消せばいい話なのだが、300円だけ課金をしてしまってそれが惜しい。馬鹿で貧乏。

 

また人に見せるのが恥ずかしいような日記をひとつ増やしてしまったし意味がわからないぐらい長くなったし情緒がめちゃくちゃだしなんなんでしょうか。日記が上手くなりたい。日記うまくなる、とあとで手帳に書いておきます。

1213

とても調子が良い。つい2週間ほど前まで、3日家から出ないなんてざらで、掃除や洗濯どころか入浴や歯磨きすら毎日できていない、布団から起き上がれないのが普通だったのに。自分が不思議だ。きっかけと思われることはひとつ明確に思い当たるものがある。にしてもここまで、と思う。今日なんか、朝早くに起きて洗顔し、着替えて化粧をし、布団カバーやシーツを洗濯にかけ、コートをクリーニングに出し、買い物に行き、1時間ほど散歩、そのあと親子丼と焼き椎茸ともやしナムルを作ってブロッコリーを茹でた。既に入浴も歯磨きも済ませ、お湯をわかしてあたたかいお茶を飲んでいる。普通の人の、普通の生活。でもずっとずっとずっとやりたくて欲しくて、でもできなかったものだった。

 

ハイになっているのだろうか。躁と言うやつ。大学時代にそれに思い当たる時期が何度かあって、急に仙台から東京に行ってネットで知り合った人と会ってみたり、SNSでめちゃくちゃなことを言ったり、Twitterを見ながら部屋で一人でゲラゲラ笑ったりしていた。面白がってくれる人もいたし、渦中の自分は楽しくて仕方なかったが、後から津波のように自責と羞恥と後悔が押し寄せた。あの時のことはあまり思いだしたくない。でも、その時の感覚となんとなく違う、と感じる。明確に違うと言えるのが2つあって、毎日ぐっすり眠れていることと、SNS、特にラインなんかを使って騒ぎ立てていないこと。だから、今のわたしの状態をあまり躁とかハイとか思いたくない。

鬱の薬をもらい始めて5年か6年になる。その時々で調子の良い悪いはあったが、ようやっと光が差し込んだような、陳腐な例えを使ってしまうと生まれ変わったような、そんな感覚がいまある。

 

思い当たるきっかけというのはここには書かないが、自分が「変わりたい」「ましになりたい」と思ってそうしたことだった。報われたと思っていいのだろうか。まだこうなって2週間だからまたすぐひっくり返るかもしれない。でももう少しだけ、できれば長くこの生活の手触りを味わっていたいと思っている。

1122.5

この頃は眠れないとなるとトイレに行ってみたり水を飲んでみたりして、自分に音楽を聴かせながら単純作業、麻雀など、をさせてようやっと眠りにつける。薬を飲めば眠れるのだろうが適正量を超えてそうすることからは目を逸らすようにしている。こうやって寝食の工夫をこちょこちょやっていると、自分がまるで赤ん坊みたいだなと思う。大きな赤ん坊。子供を育てるどころか結婚の予定も目処も立っていないのだけれど、自分の面倒を見れない人間がその選択を取るべきではないんだろうなと常々思う。「きのう何食べた?」でケンジの後輩の田渕くんが、「いや、子供が子供育てちゃだめでしょ」みたいなことを言っていたのを思い出す。

昨今の反出生主義だとか、そこまで行かないにしても子どもを持たない方がスマートだ、みたいな風潮、発言には今まさに子育てをしている人たちへの想像が足りていないものが多くて少し嫌な気持ちになる。とはいえじゃああなたはどちら側なんですかと言われたら子供を持たない方へ立つんだろう。し、それへのあてつけみたいな気持ちが少しでもある状態で子供を持つことはもっと最悪だ。こういうことをぐるぐる考えていても結論は出ないし、そもそもこれは自分のスタンスを声高に叫ぶ前にもっと国や自治体に対して言うべきことがあるんじゃないのっていう、そういう天邪鬼。

 

TABFに行きたくてめずらしくわたしから友人を誘ったら、嬉しくなった退勤後の友人から電話がかかってきた。ヒールが剥げて釘が出ているというパンプスがかつかつ言うのを聞きながらなんとなく明日の約束を固める。そのあと、何の流れだったか「わたしって多分だけど発達障害がある」と言ったらすんなり「うん、そうだと思うよ」と言われ、救われたような蹴り落とされたような変な気持ちになって変な顔になった。ほぇ〜ん。友人はそのまま「わたしもそうだし」と続けるので、さらにあょ〜んとなった。でも実際そうだからな。診断を受けていないというだけで。生きづらいし、生きづらそうな人を見つけると嬉しくなって近寄ってしまう。相手のダメなところが見つかれば見つかるほど勝手に嬉しくなって、でもお互い交友をうまくやれないので消滅する。思えばいま仲良くできている友人たちはとても寛容で、言ってしまえば大雑把だけど優しい人ばかりだ。

なんかもう、ぜんぜん健康に長生きしたいです。かみさま。

 

 

0721

暑い暑いといってクーラーに頼ってばかりいたら喉がガシャガシャになってしまった。暑いときにもっていかれる体力とは別のなにかがクーラーでもっていかれている。加齢だ。適切な温度と湿度のなかで暮らすことってこんなに難しいことだったのか、など。昨晩お母さんと気圧の変化と体調についての話をして、しゃかりき元気でずっと過ごしていられている日って思い返すとかなり少ないかもしれないね、と言った。

とても悲しい、びっくりすることがあって、書き起こしたら気は晴れるだろうかと久々に日記を書いているがどう書いたらいいかもわからない。友人と電話をしてみたが報告に留まるのみで、そのときの感情を言葉にすることはできず、ただ芥川賞の話とかあたしンちの話とかをしていた。最近なにか楽しいことしてるか、と問われてそのまま問い返すと、パン屋で食パンの食べ比べをしていると友人が言っていた。模範解答のような楽しい暮らしだ…。どこが一番おいしかったか聞くと「食パンなんかどこも同じだ」と返されて痛快だった。

お母さんはお父さんと映画を見たり、毎日散歩に出かけたりしていて、同期たちはせわしなく働いていて、友人は食パンの食べ比べをしていて、隣の芝はとは言うが自分はなにをしてるんだろうみたいな気持ちになってへとへとする。へとへと。言い訳のように書類を出したり友人と会う約束を取り付けたりしていて、もっと、もっとイキイキと暮らしたい…。泣いたり吐いたりしながら働いていた日々から脱却できて、しばらく経って、欲張りになっているのかもしれない。いいことなのか悪いことなのか。

明日から大阪に行く。行くやで。まいど。

0627

アーーやだやだやだと言いながらパソコンを抱えて思ってもない文字を打ったり手が止まっては煙草を吸ったりしているうちに22時になっていた。自分は頑張ってないみたいなこと前に書いたばっかりだけど頑張ってるって言われたい。こういうときだけは。

お母さんとちょっと電話。自分で聞いててわかるぐらい声に元気がなかったからか、励ましのような教訓のようなことをぽつぽつ言われる。そういえば今日はじめて発声した。お母さんの励ましは心に刺さることはあまりないが、背中をさすられているような気分になって心地いい。わたしのために時間を割いてくれてるって思う。「くよくよしない!そうよ█ █ ちゃんはくよくよしないほうがいい!」とズバーンと言われ、そ、そんなこと言われても〜〜。くよくよのかけらもない両親からわたしが産まれるのも不思議だ。でもこれからも好きなだけくよくよします。ものすごい頻度で電話しているから毎度「夏バテだけはしないように」と決まり文句のように言われ、電話は終わった。

使っていない鶏肉と、都がくれた野菜の水煮パックを使ってスープを作り始めたら、あれやこれや入れているうちに鍋がたっぱたぱになって自分にドン引きした。そしてあまり美味しくなかった…。トマトを入れすぎたからか酸っぱい。明日は温める時に砂糖を入れる。

明日は雨らしい。試験が一個と通院。本屋にも寄りたい。行ったことのない土地に行くがぶらぶらする元気はないかもしれない。あったらぶらぶらしよう。