いきぐされ

言い訳と練習

0808

眠れない夜、誰もいない夜。救済の灯、救済の灯とは、と煙草をぐりぐり押し殺しながらぽつぽつ考えている。


考えるのがいやで酔い潰れて起きたら12時。6時間眠り続けられたことで、新しい薬の威力がなかなかのものだとわかる。慣れてしまえばおしまい。

 

 

お母さんと二人でカウンセリングを受けてきた。

わたしが出る幕はなく、お母さんがわたしにできることはあるでしょうか、わたしの育て方が間違っていたのでしょうか、と、言葉にばりばりに鎧を着せて不安そうに尋ねているのを見ていた。


泣きそうだった。たぶんお母さんも。


何も間違っていないよ、わたしはわたしになれてよかったよ。今のわたしはそう言える。

高校時代の不細工なわたしが、なにそれ、と吐き捨てる。

きみもはやくこっちへおいで。

なかなかつらいけど、なんとかうまくやっているよ。


もっとたくましくなるように育てられたんじゃないか、とお母さんが何度も言う。

たくましいってことは図々しくなることですからねえ。いわせさんは絶対に他の人に迷惑をかけない、負担をかけない子ですからね、と先生。

また泣きそうになる。


いいかっこしいですからね〜と言われてようやっと笑えた。

 

 

何年か前、庭いじりしながら、なんで結婚しちゃったのかなあ、と呟いたお母さんに「そしたらわたし生まれてないじゃん」と言ったことがある。

ううん、わたしは絶対に花ちゃんを産んでいたと思う。

そう返ってきた。


わたしの母親はこの人しかいないな。かなわんな。


わたしはこの人を選んで生まれてきたし、この人に選ばれて生まれてきた。

生きるには十分すぎる理由だと思う。

 


花恵という名前は、たくさんの花に恵まれますようにとお母さんが名づけてくれた。


おかげで、いまとても良い人たちに恵まれている。

わたしが世界への呪詛を撒き散らす様子を黙って見ていてくれる人。

なんでもないときに、でも苦しくてたまらないときに、ぽんと連絡をくれる人。

二ヶ月にいっぺんでいい、それでいいから会おうね、会えるときに、会えるうちに会おうね。そう言ってくれる人。

 


いつかお母さんに、わたしがこんなにたくさんの花に囲まれているんだよって見せたい。

それは全部あなたがわたしを始めてくれたからだよって。

0723

あ、休学すればいいのか。

と思い立ってわーっと盛岡に帰って大泣きしてからまだ5日しかたっていないことに気づく。

 


休学なんか以ての外、みたいな自分を蹴っ飛ばしたら凄い勢いで世界の解像度が上がった。将来が見えてきた。気がする。

 


自分の能力に関しては人並み程度だという自負があるし、やりたいことは別にあるからそれを仕事にする必要はないや。

わたしはどこへ行っても大丈夫だけど、でもやっぱり、好きな人たちの近くではありたい。

東京を怖がっていた自分を長いこと可愛がってきたけど、東京には好きな人たちがたくさんいる。

見たいものが見れる。

うりちゃんとゆうせいさんにそのことを話したら、おいでおいで!と言ってもらえて、あー、これなら大丈夫かも、と思った。

 


別に東京じゃなくてもいい、どこだっていい、けど、少なくとも盛岡や仙台ではないな。

人と記憶に縛られてしまう気がする。気がするだけってことが多いことを知ったばかりだから、これもころっとひっくり返るかもしれないけど。

これから休学するってのに就職のこと考えてどうすんだ。そもそもテスト期間でみんながカリカリしてる時に休学しま〜す(笑)とかいって遊びまわってるの本当に目障りだろうよな。知らん知らんさぼろさぼろ。

 


前向きな休学だから後ろめたいことなんかなにもないけど、優しい人たちにそのことを説明するのがとても怖い。わたしのつらさをその胸の中に開かせるのが。へらへらしたわたしを面白がってくれていたらそれでいいのに、そうはいかなくなるんだろうか。

 


将来わたしは誰と暮らすんだろう。みんなは誰と暮らすんだろう。どこへ行くんだろう。それを決めるとき、少しはわたしがよぎったりするんだろうか。

 


ボルタンスキーを見てから、なにも知らない、けれどこの世に確実に存在していた人たちを思うこと、追悼することの傲慢さについて考えている。最近のインターネットを見ていてもそうだけど。見ていてっていうか気持ち悪すぎて見ていられないんだけど。

 


亡くなってしまった人のことも殺めてしまった人のことも詐欺に加担してしまった人のこともその被害にあった人のこともわたしは何も知らない。本当に理解することは絶対にできない。それでも好き勝手に想像したりそれを言葉にしたりできてしまう。そういうのが、すごく嫌だし、だけどそれが今生きている誰かの救いになったりする、んだろうか。考えたくないな。

誰も死なないでほしい。

 


薬を変えてもらったらずっと眠れるようになった。久々に楽しい夢を見た。好きな人の夢を。

わたしはわたしを守るために頑張る。それだけを今は。今だけは。

結構きわきわなところにいた、というか、もう踏み越えてはいけない段階へ進んでいたのだな、とようやく気付いた。

 


無意識的に発していたSOSを汲み取ってくれた人たちが、わざわざ大阪から会いにきてくれたり、映画を見に引っ張っていってくれたり、夜通し電話をしてくれたり、教授との面談を取り付けたりしてくれた。

 


止まなかった目眩がやっと治った。久々に4時間以上眠れた。

 


溶けきってしまったと思っていたロウソクは実は偽物で、火を灯せばいくらでも燃え続けることを知った。

 


その人たちがわたしにくれた言葉たちや、わたしに向けてくれた表情のひとつひとつは絶対に他の人には明け渡さない。

 


愛おしく、ときには泣きながら、毎日それを眺めている。

わたしは、わたしは大丈夫。

 


大丈夫だけど、もうすこしだけこのままでいさせてください。

中学生で嵐のような女の子に出会い、インターネットを教わった。苦しむ人間の美しさや、死にたがる人間に差し向けられる救済の灯を見た。そのために存在している本や漫画や映画や音楽のことも。彼女の竜巻のような情緒に巻き込まれながら、人生の歯車がものすごい勢いで回る音を聞いた。もう彼女がどこにいるのか、生きているのかさえ知らない。

 

高校生で詩を与えられた。それを愛おしく織る女性に出会い、視界にかかっていたカーテンを優しく束ねてもらった。それを使って戦うすべを、生存のための武器の研ぎ方を教わった。

 

大学生のいま、わたしは苦しむことも、インターネットも、言葉を愛することも、詩をつくることもすべて続けている。

すべてが愛おしい。

 

己が醜さに飢え乾くことをどうにかこうにか肯定したくて這いずり回っている。その醜態を周囲に晒すことをしばらく前までためらっていたけれど、もうそれもやめることにする。

あなた方も存分に苦しんでほしい。

できれば生きていてほしい。

 

死ぬことがいかに難しく、それでもおそろしく近くに潜んでいること。それを思って歩くしかないひとのゆく道に、どうか紫陽花が植わっていてほしい。

0625

20時間ぐらい布団にいる。

今日は授業もないし、音楽を聴いたり漫画を読んだりできているので罪悪感とかはない。

それでもこの状態に不満があるってことは案外わたしは外へ出かけるのが好きなのかもしれない。

 

最近ようやく自分が人に好かれていると思えるようになってきた。

わたしも人が好き。

そのことによって自分の人への好意を自分で認めてあげられるようになってきたから、好きな人にはなるべく好きと伝えるようにしている。

ありがたい。

嫌いな人にはどんどん中指を立てる。

まあできなくて勝手に気に入られてある程度なかよくなってからひどい離れ方をすることの方が多いんですけどね。

黙って離れればいいのに「わたしの人生にあなたはいらない」みたいなことを言ってしまう。

 

カウンセラーにあなたは共感性が高すぎる、人はそこまで気にしとらんよ、と言われ、まあそうなんですけど、本当のその人とわたしの中で生きているその人って違うじゃないですか。で、わたしはたぶん後者を大切にしたいんだと思う。

結局わたしはわたしが一番好きだから、自分だけの王国を頭の中につくってそこで一生遊んでいたい。

黙って大学へ行け。はい。

 

あと落ち着いたにしても最近の荒れ具合は傍から見てて快いものではないよなあと思う。はしたない。

ツイッター見てる人ならわかっていると思うけど。

面白がってくれる人がそれなりに反応をくれるのでさらに加速してしまう。よろしくないなあ、と。下品だとは思われたくない。

どうでもいいけど受精と愛情って字面が似すぎていませんか?気持ち悪くない?

頭の回路がここのところずっとぐるぐるぐるぐるしてて、ちゃんとしかるべきところに記録なりこうして長文を書くなりしたらいいのにすーーぐツイート画面を開いてしまう。

 

定期的に開いては言葉の一つ一つが点滴みたいに自分の中へ充填されていく本や漫画や音楽があって、今日はずっと「最悪にも程がある」(いとう階)を読んでいた。

ざっくり言うと書き手と読み手の女たちの感情感情感情、みたいな話で、読むたびギャーーッたすけて!!となる。すごく好き。

言葉のひとつひとつが洗練されていて、これを読んでもそうだし作者のツイートを見ていても、ものすごい蓄積のある恐ろしい人だと思う。

 

書き手と作品は別々に考えるべき、みたいなことはよく言われているけど、作品に心を燃やし尽くされてしまったらそれはもう作った人間を愛さずにはいられないでしょう。

逆に、すごく優しくて頭の良い人だったとしても書いているものがつまらないと勝手にがっかりしてしまう。

 

身の回りの表現をしている人たちが、自分の精神や生活を削ってぼろぼろになっている姿がとてつもなく美しくみえる。

心配はしているよもちろん……。生身のその人を知っていくほど、そこまでして書かなくてもいいよ、あなたはあなたでいればいいよ、と言いたくなるけど、でも、でも。

自分も書いているから、そうしないと書けないから。

まとまりがなくなってきたな。

にこにこ楽しく暮らしながら書いている人の作品に価値がないとかそういう話ではないです全く。

書く、ということへの向き合い方は人それぞれだし、それがどんなものであろうと己の言葉や感情とバチバチに殴りあっている人間は美しいよねという話。

 

すごく好きな場面が、いや全部好きなんですけど、あって。

川岸の文章と川岸そのものに心酔している名波に対して、書き手である川岸がその愛を疑ってしまうところで、名波が

「自虐は好きにして私は巻き込まないでくださいよ」

「あなたの書くものを読んで私の人生がどれだけ……」

「自虐の果てにあれだけの昇華を果たすあなたの行いはすべて肯定しますよ」

「自分と文章の自家撞着大いに結構ですけど私の愛を巻き込まないで」

って激怒するんですけどやばくないですか。

 

やばい。

 

ぜったい読んでください。それでは。

 

 

あっ、最後にわたしがこれから行きたいと思ってるところを列挙するので興味あるとか付き合ってあげてもいいわよという人がいたら連絡ください。だいたい東京だから勝手に一人で行くことになると思うけど……。

 

・紫陽花みたい

・ボルタンスキー展

クリムト

小林賢太郎の本展

・大洗(ガルパンの聖地)

・モロー展

・海か滝か湖

加藤泉の個展

・金沢の21美

 

0606

昨晩は驚くほどだめだめで、落ち着いたから久々に日記を書く。

 


なにがそんなにだめだったのかよくわからない。公務員講座を受けている最中、ああ、無理だ、と思って学生のみっちり詰まった大教室を抜けた。誰もわたしが出ていくことを気に留める様子もなく、黙々と演習を続けていて泣きそうになる。外は雨が止んだあとのにおいがしていて酷く夏だった。自分の身体がそこにあることを突きつけられる感覚。どこにも行けない、どこにも行けないと思いながらしばらくキャンパスをうろうろして痺れの止まない左足を引きずって帰った。

 


お母さんに電話をかけると、諸々の心配を事務的に伝えられて情けなくなった。自分ひとりだと劣等感や自責として処理される感情なのに、相手が身内になると赤ん坊みたいな駄々に変わる。もう無理だよ、やめたいよ、やだよと人目もはばからず泣きそうな声で訴えると、足が痛いのもあるんでしょう、帰っておいでと言われた。言われなくても帰る予定だったけど、そう言われるとなにも言えない。ぐしゃぐしゃの頭の中身を握りつぶすように電話を切る。

 


通話時間を見ると5分足らずで、わたしのいまの吐き出したい苦しみはこんなものなのか、と。おまえのそれは鬱じゃない、ただの怠惰だ、しってるよ全部しってる。うるさいな。

 


求められなければわたしも求めない。求められれば与えるしわたしも求める。そういうふうに生きてきたら自分がなにをしたい人間なのかわからなくなってしまった。なってしまった?わたしが人に向ける優しさや道化のふりはとても空っぽで、そのことを見抜いている人ばかりを選別してそばに置こうとしてしまう。わたしを面白がれない人間はひどく間抜けだと思う。

 


自分が好きで尊敬していると思っていた人間に誰かからの憎悪が向いていると嬉しいことがたまにあって、これはなんなのだろうか。相手にも孤独であることを求め、あーー、やめます。

 


不毛なことをいくつか続けてすり減ったけど、そういうことを気に病む部分もすり減ってなくなったのでもうどうでもいい。今年は誰かと紫陽花を見たい、麦わら帽をかぶって海に行きたいし、花火もしたい。楽しみなことは尽きないし、まだまだ死なない。

信じていた友人はひどい裏切り者で尊敬した人はこの上なく愚かで愛した人は不幸になり妬んだ人は来年きっと英雄になる。

 

この言葉をずっとずっと握りしめていた時期がある。健全でないな、といまは笑える。

 

わたしが連絡を断ち、わたしのなかで殺してしまっていた人たちはちゃんとその間も生きていて、わたしのことを覚えていてくれて、そしてまた連絡を次々とくれた。

 

押し付けがましい心配の言葉を並べ立てる人はひとりもいなくて、みんな口を揃えて会いたいと言ってくれた。会いたかったよ、と笑ってくれた。

 

人の優しさに触れた後は自分の最悪さ矮小さにひどく落ち込むけれど、ここのところはそんなこともない。薬のおかげとか思いたくないなあ。

 

みんなが愛しくて大好き。