いきぐされ

言い訳と練習

結構きわきわなところにいた、というか、もう踏み越えてはいけない段階へ進んでいたのだな、とようやく気付いた。

 


無意識的に発していたSOSを汲み取ってくれた人たちが、わざわざ大阪から会いにきてくれたり、映画を見に引っ張っていってくれたり、夜通し電話をしてくれたり、教授との面談を取り付けたりしてくれた。

 


止まなかった目眩がやっと治った。久々に4時間以上眠れた。

 


溶けきってしまったと思っていたロウソクは実は偽物で、火を灯せばいくらでも燃え続けることを知った。

 


その人たちがわたしにくれた言葉たちや、わたしに向けてくれた表情のひとつひとつは絶対に他の人には明け渡さない。

 


愛おしく、ときには泣きながら、毎日それを眺めている。

わたしは、わたしは大丈夫。

 


大丈夫だけど、もうすこしだけこのままでいさせてください。

中学生で嵐のような女の子に出会い、インターネットを教わった。苦しむ人間の美しさや、死にたがる人間に差し向けられる救済の灯を見た。そのために存在している本や漫画や映画や音楽のことも。彼女の竜巻のような情緒に巻き込まれながら、人生の歯車がものすごい勢いで回る音を聞いた。もう彼女がどこにいるのか、生きているのかさえ知らない。

 

高校生で詩を与えられた。それを愛おしく織る女性に出会い、視界にかかっていたカーテンを優しく束ねてもらった。それを使って戦うすべを、生存のための武器の研ぎ方を教わった。

 

大学生のいま、わたしは苦しむことも、インターネットも、言葉を愛することも、詩をつくることもすべて続けている。

すべてが愛おしい。

 

己が醜さに飢え乾くことをどうにかこうにか肯定したくて這いずり回っている。その醜態を周囲に晒すことをしばらく前までためらっていたけれど、もうそれもやめることにする。

あなた方も存分に苦しんでほしい。

できれば生きていてほしい。

 

死ぬことがいかに難しく、それでもおそろしく近くに潜んでいること。それを思って歩くしかないひとのゆく道に、どうか紫陽花が植わっていてほしい。

0625

20時間ぐらい布団にいる。

今日は授業もないし、音楽を聴いたり漫画を読んだりできているので罪悪感とかはない。

それでもこの状態に不満があるってことは案外わたしは外へ出かけるのが好きなのかもしれない。

 

最近ようやく自分が人に好かれていると思えるようになってきた。

わたしも人が好き。

そのことによって自分の人への好意を自分で認めてあげられるようになってきたから、好きな人にはなるべく好きと伝えるようにしている。

ありがたい。

嫌いな人にはどんどん中指を立てる。

まあできなくて勝手に気に入られてある程度なかよくなってからひどい離れ方をすることの方が多いんですけどね。

黙って離れればいいのに「わたしの人生にあなたはいらない」みたいなことを言ってしまう。

 

カウンセラーにあなたは共感性が高すぎる、人はそこまで気にしとらんよ、と言われ、まあそうなんですけど、本当のその人とわたしの中で生きているその人って違うじゃないですか。で、わたしはたぶん後者を大切にしたいんだと思う。

結局わたしはわたしが一番好きだから、自分だけの王国を頭の中につくってそこで一生遊んでいたい。

黙って大学へ行け。はい。

 

あと落ち着いたにしても最近の荒れ具合は傍から見てて快いものではないよなあと思う。はしたない。

ツイッター見てる人ならわかっていると思うけど。

面白がってくれる人がそれなりに反応をくれるのでさらに加速してしまう。よろしくないなあ、と。下品だとは思われたくない。

どうでもいいけど受精と愛情って字面が似すぎていませんか?気持ち悪くない?

頭の回路がここのところずっとぐるぐるぐるぐるしてて、ちゃんとしかるべきところに記録なりこうして長文を書くなりしたらいいのにすーーぐツイート画面を開いてしまう。

 

定期的に開いては言葉の一つ一つが点滴みたいに自分の中へ充填されていく本や漫画や音楽があって、今日はずっと「最悪にも程がある」(いとう階)を読んでいた。

ざっくり言うと書き手と読み手の女たちの感情感情感情、みたいな話で、読むたびギャーーッたすけて!!となる。すごく好き。

言葉のひとつひとつが洗練されていて、これを読んでもそうだし作者のツイートを見ていても、ものすごい蓄積のある恐ろしい人だと思う。

 

書き手と作品は別々に考えるべき、みたいなことはよく言われているけど、作品に心を燃やし尽くされてしまったらそれはもう作った人間を愛さずにはいられないでしょう。

逆に、すごく優しくて頭の良い人だったとしても書いているものがつまらないと勝手にがっかりしてしまう。

 

身の回りの表現をしている人たちが、自分の精神や生活を削ってぼろぼろになっている姿がとてつもなく美しくみえる。

心配はしているよもちろん……。生身のその人を知っていくほど、そこまでして書かなくてもいいよ、あなたはあなたでいればいいよ、と言いたくなるけど、でも、でも。

自分も書いているから、そうしないと書けないから。

まとまりがなくなってきたな。

にこにこ楽しく暮らしながら書いている人の作品に価値がないとかそういう話ではないです全く。

書く、ということへの向き合い方は人それぞれだし、それがどんなものであろうと己の言葉や感情とバチバチに殴りあっている人間は美しいよねという話。

 

すごく好きな場面が、いや全部好きなんですけど、あって。

川岸の文章と川岸そのものに心酔している名波に対して、書き手である川岸がその愛を疑ってしまうところで、名波が

「自虐は好きにして私は巻き込まないでくださいよ」

「あなたの書くものを読んで私の人生がどれだけ……」

「自虐の果てにあれだけの昇華を果たすあなたの行いはすべて肯定しますよ」

「自分と文章の自家撞着大いに結構ですけど私の愛を巻き込まないで」

って激怒するんですけどやばくないですか。

 

やばい。

 

ぜったい読んでください。それでは。

 

 

あっ、最後にわたしがこれから行きたいと思ってるところを列挙するので興味あるとか付き合ってあげてもいいわよという人がいたら連絡ください。だいたい東京だから勝手に一人で行くことになると思うけど……。

 

・紫陽花みたい

・ボルタンスキー展

クリムト

小林賢太郎の本展

・大洗(ガルパンの聖地)

・モロー展

・海か滝か湖

加藤泉の個展

・金沢の21美

 

0606

昨晩は驚くほどだめだめで、落ち着いたから久々に日記を書く。

 


なにがそんなにだめだったのかよくわからない。公務員講座を受けている最中、ああ、無理だ、と思って学生のみっちり詰まった大教室を抜けた。誰もわたしが出ていくことを気に留める様子もなく、黙々と演習を続けていて泣きそうになる。外は雨が止んだあとのにおいがしていて酷く夏だった。自分の身体がそこにあることを突きつけられる感覚。どこにも行けない、どこにも行けないと思いながらしばらくキャンパスをうろうろして痺れの止まない左足を引きずって帰った。

 


お母さんに電話をかけると、諸々の心配を事務的に伝えられて情けなくなった。自分ひとりだと劣等感や自責として処理される感情なのに、相手が身内になると赤ん坊みたいな駄々に変わる。もう無理だよ、やめたいよ、やだよと人目もはばからず泣きそうな声で訴えると、足が痛いのもあるんでしょう、帰っておいでと言われた。言われなくても帰る予定だったけど、そう言われるとなにも言えない。ぐしゃぐしゃの頭の中身を握りつぶすように電話を切る。

 


通話時間を見ると5分足らずで、わたしのいまの吐き出したい苦しみはこんなものなのか、と。おまえのそれは鬱じゃない、ただの怠惰だ、しってるよ全部しってる。うるさいな。

 


求められなければわたしも求めない。求められれば与えるしわたしも求める。そういうふうに生きてきたら自分がなにをしたい人間なのかわからなくなってしまった。なってしまった?わたしが人に向ける優しさや道化のふりはとても空っぽで、そのことを見抜いている人ばかりを選別してそばに置こうとしてしまう。わたしを面白がれない人間はひどく間抜けだと思う。

 


自分が好きで尊敬していると思っていた人間に誰かからの憎悪が向いていると嬉しいことがたまにあって、これはなんなのだろうか。相手にも孤独であることを求め、あーー、やめます。

 


不毛なことをいくつか続けてすり減ったけど、そういうことを気に病む部分もすり減ってなくなったのでもうどうでもいい。今年は誰かと紫陽花を見たい、麦わら帽をかぶって海に行きたいし、花火もしたい。楽しみなことは尽きないし、まだまだ死なない。

信じていた友人はひどい裏切り者で尊敬した人はこの上なく愚かで愛した人は不幸になり妬んだ人は来年きっと英雄になる。

 

この言葉をずっとずっと握りしめていた時期がある。健全でないな、といまは笑える。

 

わたしが連絡を断ち、わたしのなかで殺してしまっていた人たちはちゃんとその間も生きていて、わたしのことを覚えていてくれて、そしてまた連絡を次々とくれた。

 

押し付けがましい心配の言葉を並べ立てる人はひとりもいなくて、みんな口を揃えて会いたいと言ってくれた。会いたかったよ、と笑ってくれた。

 

人の優しさに触れた後は自分の最悪さ矮小さにひどく落ち込むけれど、ここのところはそんなこともない。薬のおかげとか思いたくないなあ。

 

みんなが愛しくて大好き。

0411

雨。

人に会う。

人と話す。

どうだったこの頃は、と言われて、いや~、へへ、とフニャフニャした答えで時間をつなぐ。ブドウみたいなマークのついた空気清浄機と、もう数枚しか残っていないティッシュホルダーと、シャガールのレプリカ。これシャガールですよね。ずっとそういう話がしたいんだけどな。

 


ツイッターや日記で自分がいかに苦しいかを暴れて踊ってアピールするのはたぶんあまりよくなくて、こういうときに人に話すほうが正しいんだろうと思う。けど、人と向かい合うとそれが途端にできなくなってしまう。人に自分の感情を、それもよくないものを明け渡すのは。だって迷惑でしょうだれだって。少なくとも嬉しくはない。でもこれも言い訳で、ただ説明をさぼっているだけだ。言葉にすることと説明することはどうしようもなく違う。

 


とりあえず自分の生活がいかにグズグズなのかを話して、あらあらと言われて別れた。具体的にどうなりたいとかある?と尋ねられる。どうなりたいんだろう。楽になりたいとか幸せになりたいとか、そういうのは他の人間に成り代わりたいという欲求とほとんど同じように感じられる。幸福は瞬間だから。でもいつか習慣にしなくてはならない、自分の手と足で。

 


こんな文章ばかり書いていたから良かった漫画の話をします。

 


「ひとりぼっちで恋をしてみた」田川とまた

ツイッターでバズっていた1話がとんでもなく良かったから買ってきた。にしてもこのタイトルはないでしょう。

不器用で天然とよばれている主人公の有紗が、通っている高校の教師に思いを寄せる、というまあほんとうによくある話で。でももう今は設定だけで勝負できるステージじゃないですからね。

 


不器用っていうよりも世界とのチューニングがうまくいっていない主人公をとても真摯に見せてくれる。優しい友達に囲まれて、へまをしても天然だねえと可愛がられているけれど、当の本人はどんくさい自分をほんとうに蔑んでいるところとか。人は嫌いじゃないのに、大好きなのに、人といると疲れてしまうところとか。

 


不器用でどんくさくて、みたいな主人公は恋愛ものに関しては6割くらいが当てはまるんじゃなかろうか。あとはまあ完璧人間とか腹黒猫かぶりとか…でも結局はみんなどこか抜けているところがある。主観で自分を見たら誰だってそうなる。だからそのことについてはあまり文句はない。すっ転ぶとか砂糖と塩を入れ間違えるとか、そういう設定としての不器用さもフィクションなんだから存分にやってくれと思う。とはいえ読んでてこの子はそういう設定なんだぜ、よろしくな!じゃあ恋愛はじめるぜ!みたいなパターンが多く、ああまたこういうのね、と読み飛ばしてしまう。

 


もちろんこの作品でも漫画的な表現でドジを踏む主人公をそれはそれは可愛く描いていて最高なんだけど、それは外から見た彼女の姿で。本人はそんな自分が嫌で嫌でしかたがない、どうにかしたいよりもまず自分なんていなければ、になってしまう。先生ももちろん好きだけど、一番は自分が嫌い。人間だなと思った。

 


あとなによりも主人公が恋している先生がやばい本当にやばい助けてくれ、というかんじでした。ダウナーでいつも寝てて演劇のシナリオをずっと書いていて。顔。助けてください。

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あと2冊買ってそれもすごく良だったんだけど説明できるタイプのものじゃないので…。

感想書くのって難しいな。

 

何も生産できていない焦燥感に駆られてメモ帳をひらく。いますべきはこんなことではない。吐き出したい吐き出したいと暴れているけどこうして言葉にしたいことなど一つもなくて、そのことにまた絶望する。生産といったけれど、いましなくてはならないのは積みに積んだタスクの消化で、どうしてそんなこともできないの、 どうしてでしょうね。小学校のクラス委員のほうがまともに仕事をやっている。バイトを休んだ。

 


学校がはじまってしまって、きちんと人と言葉を交わせたことに安心したけれど、すれ違う人、人、人人人がぜんぶ自我をもって蠢いていると思うとウッとなる。わたしがその目に映る一瞬。思考。たすけてくれ。わたしはここに来るべきでなかったと半年くらいずっと思っている。